
胎児のような、動物のような形をした小さな石、勾玉。その歴史は古く、縄文時代から魔除けとして、また社会的地位を示す装身具として用いられてきました。
この勾玉が出雲発祥であることは地元ではよく知られた話で、多くの観光客が訪れる温泉街でもある松江市(旧八束郡・玉湯町)「玉造」の地名が、良質なめのうや碧玉の産地である花仙山を背景に玉作りの地として栄えた史実に由来することもみんな知っています。
花仙山周辺では実際に多くの遺跡が確認されており、弥生~平安時代のものとされる出雲地方のおよそ100遺跡のうち半数以上がこの場所に密集しています※注1。
※注1 出典:島根県立古代出雲歴史博物館企画展「輝く出雲ブランド 古代出雲の玉作り」ハーベスト出版 平成21年3月7日発行
現在でも玉造にちなんでこの辺りでは勾玉をデザインした装飾がよく見られ、地元では身近に感じられるアイテムですが、
しかし一方で、その起源や正体については専門家でさえ断言できる点はそれほど多くはないかもしれません。
現代においてなお勾玉は、「神秘の石」として謎を秘めたままだからです。
折しもこの程、SHUGYOKUDO.corpで稀少なサイズの翡翠勾玉を制作することになったので、これを機に改めてこの聖なる守り玉についてお話したいと思います。
勾玉の語源

勾玉の起源は古く、また弥生時代には一度勾玉文化が途絶えた経緯をもつため、その誕生や役割についても諸説あります。
よって、あくまで可能性を探るにすぎないことが前提の話になりますが、たとえばその語源については、勾玉の形状に由来する説が有力とされています。
根拠は、古事記に「曲玉」表記、また日本書記に「勾玉」とする表記が見られること。「曲」「勾」いずれも「ま・がる」とする訓読みをもつ字です。
つまり「曲がった玉」である形状が「まがたま」と呼ばれる所以ではないかということです。
また、それとは別におもしろい偶然を一つ挙げると、古代インドにおいて宗教儀礼をつかさどる祭司階級(マガ・ブラーフマナとも呼ばれる)を意味する言葉に「マガ(maga)」という語がありました。
古代日本で祭司の道具として使われた「マガタマ」が古代インドの祭司階級を表す語「マガ」と同じ音であるのは興味深い事実といえます。
実は出雲の山持遺跡からインドや東南アジアで作られたとされる古墳時代中期の玉が出土しており※注2、交流があったことの裏付けが取れることも見逃せない要素です。
※注2 「ムティサラ」と呼ばれる赤褐色の石 出典:「目の眼2月号」株式会社目の眼 令和2年1月15日発売
勾玉の形状は多種多様

ひとまとめに「勾玉」と呼ぶものの、勾玉の語源ともされるその形状は実にバリエーション豊かです。
下記に代表的な系統を示します。
・定型勾玉

・半玦形勾玉

・獣形勾玉

・緒締型勾玉

・丁子頭勾玉

・鞆型勾玉

実際はここからさらに細分化されていくのですが、それらをすべて整理することは難しいでしょう。
というのも、勾玉は縄文時代早期末頃の誕生から5000年以上もの長期に渡って使用された歴史をもち、その間常に安定的に生産されていたというわけではありません。
たとえば弥生時代前期には、福岡県を除く地域ではほとんど確認できなくなり、中期に入ると日本各地で再興します。
この時期はとくに北九州で新しく定型勾玉や丁子頭型勾玉が成立するなど系統に変化が生じたため、一つの転換期であるともいわれています※注4。
※注4 出典:「勾玉 特別展大勾玉展図録」大田区立郷土博物館 令和4年11月28日 「目の眼9月号」株式会社目の眼 平成29年9月1日発行
長い歳月においてときに途絶えながら時代を追うごとにまた地域ごとに、それぞれの形状によって分布に細かな違いが現れる勾玉。
出土する遺物を頼りにその変遷を正確に辿るなど不可能に近いことは容易に想像のつくところでしょう。
またその変遷の背景には、材質の適性や思想の傾向など様々な要素がからんでいるはずです。
だとすれば【勾玉の形状は一体何に起源をもつか】という問いに対しては、私たちは海のように深く広い、様々な可能性を探る必要があることを前提としなければなりません。
そうしたことを踏まえつつ、一般的に挙げられている説を下記にみていきます。
・魚
・胎児
・月(胴体)と太陽(頭)
・魂
・陰陽
・北斗七星
また勾玉以前から動物の牙を装身具に用いていたことから、牙を模したとされる説も有力です。牙に穴を開けたものを「牙玉」と呼び、勾玉はそこから派生したものであるとする見方です。
また特例として「子持ち勾玉」が挙げられます。

比較的大型の勾玉に小さな勾玉が複数体付着するような形状で、これはたとえば子孫繁栄や五穀豊穣等を神に祈るときの特別な祭事に用いられた可能性が高いとみられています。
しかしながらそれもあくまで傾向というだけで、形状や用途には当然ながら職人たちの遊び心や趣味嗜好によるところもあっただろうと推察します。
勾玉の王様「翡翠」

勾玉の素材はめのう、水晶、琥珀などの石に加えてガラスや土など多岐に渡りますが、中でも別格として愛されたのが翡翠の勾玉でした。
琅玕(ろうかん)の美称をもつ翡翠は、透けるような緑の高貴な美しさはもちろん、硬く丈夫で、それ故加工に高度な技術を要すること、また、産地や量が限定されることなどから、原石においても非常に高い価値が認められていました。
縄文時代、勾玉誕生の早い段階で大型の翡翠勾玉がつくられ、広く分布します。
古墳時代中期までは透明度の高い翡翠が多く使われたのに対し、中期以降は白濁した石が選ばれるようになるなど色味に多少の変化は見られれるものの、全期を通じて勾玉の代表格とされた王様のような位置づけの石です。

翡翠の緑は、若い芽が萌えいづる色。3歳までの幼子を「緑児」というように、あふれんばかりの生命力を表す色とされます。
今も昔も、人々が本能的に惹かれる特別な癒しの色調なのかもしれません。
腕にかかえる特大サイズの制作

2026年4月、私たちは特大サイズの翡翠原石を入手します。
そこから唯一無二の勾玉づくりがスタートしました。

しかしその道のりは平坦ではなく、対応可能な施工業者を探すだけで気づけば4ヶ月もの時間が経過していました。
前述の通り翡翠の加工には相応の技術が必須な上、これだけのサイズとなればさらに条件は厳しくなります。

協力者を得てようやくやりとりを開始。試行錯誤の末、やっとの思いで希望の形に辿り着いたのでした。その後さらに磨き加工のために輸送を重ね、台座製作などの全体を含めると、完成までおよそ半年を費やしていました。
そうして生まれた稀少な勾玉がこちら。

腕に抱えるとちょうど赤ちゃんを抱いているかのよう。有機的な勾玉特有の形状であればこそ、不思議な愛着がわきます。面が広いゆえに翡翠の美しさも際立って、眺めているだけで心が洗われるような清々しさもあります。
いうなれば、勾玉の神秘を存分に堪能できる特別な守り玉。
現代が生んだ世にも稀なこの勾玉は、100年先、1000年先には一体どのような意味付けでとらえられるでしょう。
今回の制作に携わった人たちの熱意と技が、そのとき未だ絶えない勾玉史の一部となっていることを願いつつ。
人の心を癒し、素材や技術を未来につないでいくことを目指して、
これからも私たちらしいプロダクトをつくり続けます。
【参考文献】
島根県立古代出雲歴史博物館企画展「輝く出雲ブランド 古代出雲の玉作り」ハーベスト出版 平成21年3月7日発行
「目の眼2月号」株式会社目の眼 令和2年1月15日発売
「目の眼9月号」株式会社目の眼 平成29年9月1日発行
「勾玉 特別展大勾玉展図録」大田区立郷土博物館 令和4年11月28日発行